バギオ基金とは
1903年(明治36年)ロータリーが出来る2年前、日本人125名を載せた東洋汽船の香港丸と言う一隻の客船がフィリピン・マニラ港に錨を降ろしたのが始まりです。バギオ山頂に続くベンゲット道路は,大変な難工事で、なかなか進みませんでした。そこで、日本人がまじめで勤勉なのを知り労働者を募集したのです。50メートルに一人、人柱が出来るほどの難工事でしたが無事完成し、残った人達は現地の人と結婚したりしてフィリピンにしっかり根をおろし、各地に豊かな邦人社会を形成しました。延べ2000人の日本人労働者が工事に関係し約700人の人が犠牲になったと言われています。太平洋戦争の時、日本軍はフィリッピンに60万人が上陸しました。生還したのは10万人でした。その最後の激戦地がバギオであった訳です。バギオには日系フィリピン人が大勢いたので、壊滅直前の日本軍は、日本語が出来、日系人である彼等に協力させたのです。日本軍の敗戦後、彼等日系フィリピン人は、日本軍に協力した事で現地住民の迫害を受け、自分が日本人であることをひた隠しに隠し、バギオ山中に逃げ込んで生活をしていました。それをバギオに赴任したシスター海野が知り、自ら山中に分け入り一人一人救出されたのです。救出された日系人も山中に住んでいたのですから、学校はありません。彼等の一番の希望は自分たちの子供を学校に入れ、教育を受けさせる事でした。我々はその育英資金を出しています。

バギオの位置

ベンゲット道路
激戦となた第二次世界大戦

●カルロス・B・寺岡さん

我々のパートナーは、バギオRCとバギオサマーキャピタルRC ですが、実際には日系フィリッピン人の成功者寺岡さんが仕切ってくれています。彼は北ルソン比日基金理事長であり、アジアではじめての、日本名誉総領事になっておられます。我々も寺岡さんが居られるので、安心してこのプロジェクトを推進できるのです。

●シスター・テレジア海野
1911年 静岡市生まれ、
1930年 東京豊島師範学枚卒、
1939年 大連・撫順で幼稚園長をつとめ、帰国
1942年 「マリアの宣教者フランシスコ修道会」に入る
1972年 還暦を機にフィリピンの貧しい人々のため余生をささげるべく渡比した。(とくに太平洋戦争後迫害を恐れ日系人であることを隠して貧しい棄民状態にある人々を一人ひとり探し出し、その経済、育英事業、農業協同組合結成などに尽力)